運行会社と下請け企業、あの欠陥プログラムを作成したエンジニアを民事で提訴するようにと、様々な人たちが強く勧めたが、わたしは遂にそれをすることはなかった。エンジニアには一度会ったが、もとよりこの青年に悪意は微塵もないことが一目で知れた。年齢の割に有能なプログラマーらしく、重要な運行プログラムをいくつも手がけ、仕事の評価は高かった。評価が高いということは、ミスが少ないということだ。
この社会では、あらゆるところでミスを最小限に抑えるセキュリティーが行き届いている。それはつまり、不幸な人間を最小限に抑えることにつながっている。だが最小限といえど、それはゼロではない。
事故からちょうど一年経った日、わたしは自家用飛行艇に乗って外出した。ひとりで飛行艇に乗るのは、まる一年ぶりだった。
自家用機で航行できる最上空レーンまで来た時、わたしは自動航行装置を解除し、マニュアル操縦に切り替えた。無許可で飛行艇をマニュアル操縦するのは違法だが、自動航行装置を切らなければ定められたレーンを外れて飛行することはできない。コクピットパネルから鳴り響く警告音を無視し、最上空レーンを超えて、ゆっくりと機体を上昇させていった。
自家用機で成層圏ちかくの高度まで上昇するのは、ほとんど自殺行為である。けれども、その時のわたしは思い定めるものがあった。限界高度に達し機体が軋みはじめ、耳鳴りと頭痛が激しくなってきたときも、わたしのこころは、静かに澄んでいた。
濃紺の空の中、エンジンの回転を最小限におさえ、滑翔飛行を維持した。暫くこの静謐な空間に身を委ねているつもりだった。
ふと上を見上げると、更なる上空に何かきらめくものが漂っている。
最初、オーロラかとも思ったが、この緯度ではめったに見られるものではなかった。それよりもっと実体のある粒状のものだ。雪が舞っているようにも見えるが、この高度は雲のはるか上だ。わたしはその美しさに強く惹きつけられた。機体が破裂しても構わないと思い、さらに上昇していった。
それは、魚の鱗めいた、ごく薄い雲母の破片のようなものだった。
雪の結晶よりはるかに大きいが、その破片は濃紺の空に無数に漂っていて、そのただ中に入り込んでゆくと、ほんとうに雪が舞う中に紛れ込んだようだ。
まさに天上にたどりついた、と思った。不思議な恍惚感にわたしはとらえられていた。
かすかに人の話し声が聞こえてきた。
一人や二人の声ではない、もっと多くの人間が、それも互いに会話をしているわけではなく、一人ひとりがめいめい勝手に何かを話している。まるで混信したラジオ音声のようにも、遠くで様々な鳥がさえずっているようにも聞こえる。何を言っているのかも、何の言語かも、はっきりとは分からない。次第に声の量が増してくる。今ではもう何百いや何千という声が、わたしの漂っている空間を満たしている。時折鮮明に判別できる言葉も聞こえてくる。だが一瞬後には消えゆくようにふっつりと意味を失ってゆく。
わたしは薄れてゆく意識の中でそれらの声を聞いていた。もしかしたら、ほんとうに天上に近づいているのではないか。あれは、無数の天使たちがさざめいている声ではないのか。――
おとうさん――
おとうさん――
なつかしい声が、ほんの刹那聞こえて、消えていった。
現実には、脆弱な気密性の機体内部から酸素がどんどん外に流出していて、低酸素症でわたしは意識を失いかけていたのだ。あのまま、あの上空にとどまり続けていたら、まちがいなくわたしは命を落としていたことだろう。
今から思えば、誰かによって救われたのではなかろうか、とも思う。エンジンが自然停止し、機体がすこしずつ高度を下げ始めた。
命を失うことなく、わたしは地上に舞い降りた。自宅前にたどりついた時、わたしは飛行艇の中で気を失っていた。失神する直前、無意識のうちに自動航行装置を再起動させていた。
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