ガレージの中に入ってゆくと、わたしが運 び込んだ自家用機が以前とそっくり同じ位置に、外見もまったく変わらぬまま置いてあった。前回と同じように店の中はひっそりとしている。連絡が入ったので機体を受け取りにきたが、何かの間違いだったのではないかと一瞬訝しんだ。
「すっかり出来上がっているぞ」
機体を眺めているうちに、音もなくわたしの背後にテネブラーエは近づいてきて言った。やはり、微かに驚かずには居られない。こんなに近くに居るのに、まるで影のように気配というものがほとんど感じられない男だ。彼は杖を突きながらゆっくりと機体に近づいていった。先日は気づかなかったが少し足が不自由らしい。その体でよくこんな仕事ができるものだ。だがわたしの思いになどお構いなしに彼は説明を始めた。
「コクピット全体を与圧キャビンにしてある。エンジンも相当手を入れた。警察艇並みのハイパワー反重力ジャイロを搭載してある」説明しながら、いちいちその箇所を杖でコツコツ叩いた。「万が一奴らに見つかっても逃げ切れるだけの速度は出せる。まあそれが一番肝心なところだが。――いざとなったら成層圏の上まで出てしまえばいい。準宇宙飛行できるだけの性能はある。一番金がかかったのはカムフラージュだ。中身はモンスターマシンだが、見かけは下駄代りの自転車並にしなけりゃならん。そこらの店先に停めておいても、こいつで宇宙の岸辺まで行けるなんて誰も思わないだろう」ひととおり説明が終わると、足元にある箱を足で軽く小突いた。「軍の払い下げ品だ。気休めかも知れんが、こいつに乗るときはこれを着ていけ」
その箱の中には、やけに嵩張るジャケットのようなものが入っていた。
「与圧服だ。成層圏より上では何が起こるか分からない。これを着ていれば、何かトラブルが起きてもすぐ死ぬことはなかろう。どっちみちそんな高高度で事故が起きたら命はないものと思った方がいいが。即死するか、死ぬまで少し猶予ができるか、その違いだけだ。――なあ、あんた、宇宙空間に出たことはあるか?」
テネブラーエは唐突に話題を変えると、少し眼を細め、わたしの方を見た。わたしは首を振った。
「わたしが子供のころ、おやじに連れられて海釣りに行ったことがある。小船に乗って、かなり沖まで出た。しばらくすると、ふいに霧が出て岸が見えなくなった。おやじは落ち着いていたが、わたしは怖かった。そのとき船の縁から顔を出して海底を覗き込んだんだ。真黒でどれほど深いのか知れなかった。そのとき感じた恐怖は今でもはっきりおぼえている。この漆黒は地獄まで続いているんじゃないかと本気で思ったものだ。水の中で何やらうごめいている物が見えたが、そのときのわたしには地獄でのたうっている魑魅魍魎のように見えた。今から思えば小魚だったんだろうが。ふいにおやじがわたしの襟首をつかんで後ろに引き倒した。知らず知らず前のめりになって、海の中に引きずり込まれそうになっていたらしい」彼はもう一度眼を細めた。この男にしたら、あるいは笑っているつもりなのかもしれなかった。「そこに足を踏み入れたらまず間違いなく死ぬ。それほどの絶対的な恐怖を抱かせる場所が眼と鼻の先にある。だが、その場所に強くひきつけられずにはいられない。――そんな感じを抱かせる場所は、もうこの地上ではついぞ見かけなくなってしまった。あるとしたら――」彼は指を上に立ててみせた。「あそこしかない」そう言うと、また眼を細めた。今度はあきらかに笑っているように。「言っとくが、この機体のチューンには相当金がかかった。とびきりの違法改造だ。割増料金はたっぷり貰う。だがそれだけの価値はある。そのうち解るだろうが」異存があるはずなかった。
金を支払い、飛行艇に乗り込む段になって、テネブラーエはふと思い出したようにわたしを呼び止めた。
「そういえば、こんなものがエンジンの中にどっさり紛れ込んでいたが、これはなんだ?」
そう言って作業台の上にバラバラと細かなかけらを撒きちらした。わたしは息を飲んでそれを見た。“天上”に漂っていた、あのかけらだ。
わたしが“天上”から帰還したとき、機体の表面にそのかけらは無数に付着していた。外部に付着していたものはここに来る前にすべて慎重に取り除いたつもりだったが、エンジンの内部までは手の入れようがない。あの時エンジンが停止したのも、おそらくこれを吸い込んだためだろう、との察しもついていた。機体をフルチューンしたテネブラーエがこのかけらを見つけたとしても不思議はない。問題なのは彼が、こいつの秘密を知ってしまったか、どうかだ。わたしは何も答えずに、しばらくテネブラーエの顔を見ていた。彼も不信の眼でわたしを見ている。ややあって、彼の方から口を開いた。
「――まあ、いい。エンジン内部で溶解するような物だとやっかいだが、こいつはちょっとやそっとの高温にも溶けない素材らしい。だが、エンジンの中にやたらにいらんものが紛れ込むのは、やはり、良くはない」テネブラーエは、作業台の上のかけらをわたしの方に押しやる仕草をした。「これは持って帰れ。何かに使えるかと色々加工してみたが、うちの機械じゃまったく歯が立たない。紙より軽いのにこれほど硬い物は見たことがない。素材としては興味をそそられるが、まったく加工できない代物は機械屋には使い道がない。――だがいいか、ひとつ注意しとくが、こいつが漂っている空に出たらすぐにエンジンは止めろ。ジャイロだけで高度を保つんだ。工作機械でも削れない硬い素材は、エンジンの中をヤスリのようにへずってしまうからな」
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